――咲き誇る桜の下でお花見をしたかったんだ。





 ――きっと君には桜が似合うから…。





 ――そして見たかったんだ。





 ――桜の下で、暗闇を照らすあの笑顔を……。




















時狂いの桜


〜 桜 〜




















 「……あのさ、前々から言おうと思ってたんだけど。」





 満開の桜の下。

 そこには時人特設ステージが設けられており、

 団子にお茶、そしてプリンが並べられて気分はお花見である。





 「ん、なに?。」





 の向かいに座り嬉しそうにプリンを頬張りながら時人がの方を見る。

 壬生から持参してきたらしくプリンの種類は豊富だ。

 口の中に甘く広がる抹茶の味を堪能しつつは時人に



 「いつから私は時人の、こっ婚約者になったの?」



 と躊躇いがちにそう言ってまた一口抹茶プリンを頬張る。






 時人は何かとを気に入っている様なのだが、

 どうも素直に受け取れない。

 それはその行為の渡し方に問題がある所為だとは思う。

 時人がかかわると何かしら必ず事件が起こる。

 今回も何か仕掛けがあるに違いない。

 そう思い、不審の眼差しで時人を見詰める。





 「私そんな事聞いてなかったんだけど。」

 「あれ?そうだっけ?」





 などと時人はとぼけてみる。

 しかし次の瞬間にはくすりと笑ってあの不適の笑みを見せる。





 「でも大丈夫だよ。僕達の結婚は運命によって決まってるんだからね。」

 「…結婚?」

 「そうそう。式の日はいつにする?やっぱり春かなぁ?」

 「ちょっ、ちょっと待って。」





 あまりのことには皿の上に綺麗に乗っていたプリンを無残にもスプーンで押し潰してしまった。

 無様に皿の上に広がってしまったプリンにも気づかず、

 は突飛な事を言い出した時人を凝視する。 





 「…今、結婚って言った?」

 「うん。言ったよ?あ、そうだ忘れるところだったよ。」





 間髪いれずにの問いに肯定すると懐からひらひらとした紙を一枚取り出す。

 時人が差し出すそれを受け取り一通り目を通すと

 はかなり動揺したようで声を裏返しながら最初に書かれた文字を読む。





 「こっ婚姻届ぇ?!」

 「必要なところは書いておいたから後はは判子を押せばいいよ。」

 「そういうことじゃなくてなんで私なの?」

 「え?だってのこと好きだし…。」





 なんだかすごいことをさらりと言われてしまった。

 突然そんなことを言われても困ってしまうし、

 何しろ相手は太四老。そう簡単に結婚してよいのだろうか。





 無数の思惑がの頭の中を駆け巡りなんだか頭が痛い。

 そもそもそんなこと考えていなかったしはっきり言って無理。

 何とかして時人にあきらめてもらうしかない。





 「…でも時人の場合未成年なんだから親の承諾がないとダメなんじゃない?」



 さり気無く村正が息子の我が侭を止めてくれるのではないかと期待し、

 は時人をなだめてみたが目論見は外れてしまった。





 「あぁ、大丈夫。太四老ってことでその辺は誤魔化せるよ。」

 「…それって違法なんじゃ……?」

 「ん?そんなに心配なら法律なんて変えてあげるよ。」



 とにっこり笑ってみせる。



 ――さすが世界を統べる神の一族。


 ――時人の気分しだいで規律は変わってしまうのか。



 なかなか手ごわい。





 「…でも時人は太四老でしょ?」

 「うん。」

 「私みたいな一般人でしかも城下町の出入りだって禁止されてたのに、

  そんなのとは結婚しちゃまずいでしょ?」





 今度は身分を盾に応戦する。

 常識として太四老ともなれば壬生一族の一流貴族だって滅多に会えない。

 それをどこの馬の骨とも知れない小娘が嫁げるわけがない。

 しかも自分は隠し子。公には認められていない。





 「うーん、そうかなぁ?」

 「壬生は何かと上下関係にうるさいし…ね。」





 今度は少し手ごたえがあった。

 時人は嫌いでは無いのだが少々強引すぎて困惑する。

 どうしてもはこの作ったような笑顔が苦手で

 ついつい断れなくなってしまう。っというか押しに弱い性質なのだ。





 しかし、毎回言うことを聞くわけには行かない。

 壬生では身分がものを云うことを武器に時人を説得する。

 肌で身分の壁を感じていたは素直に時人に問うてみる。

 太四老は壬生の顔。

 はそれに泥を塗ることしかできない。



 そもそもこうして時人と話をするのだっていけないことなのだ。





 「でもは辰玲や螢惑の異母兄弟でしょ?由緒正しい家柄じゃん。」

 「…えっ。そう?」



 そういえばそうだ。辰玲やほたるは五曜星。

 父親はお偉いさんだったような気がする。





 「えっと、でも私隠し子なんだよ?認められてないし…。」

 「ふ〜ん。詰まる所は僕が嫌いなんだ。」



 必死に言い訳を考えているに時人の冷たい一言が刺さる。

 時人はいつの間にか立ち上がっての方へ来ると、

 細い指での顎をつっと持ち上げる。

 色の薄いまつ毛を伏せ気味にしの顔を見下ろす瞳と、

 困惑した様に時人を見上げる視線がぶつかる。





 時人の透き通るような髪の向こうに時狂いの桜が満開だ。

 桜は一部が何故か黒く焦げてはいるが風も無いのにさわさわと揺れる花々は

 思わずうっとりと見つめてしまうほど美しい。



 けれどもそれとは裏腹に時人の表情は暗い。



 ――は初めて見た。



 いつも自信満々で不敵な笑みを崩さなかった時人の――





 ……泣きそうな顔。






 「そっそんなことないよ!」

 「本当?」

 「そうだよ。ただ時人と私じゃ釣り合わないよってそう思っただけ……。」

 「はそんなこと気にしなくてもいいんだよ。」 





 安心したように笑うとそっと額に口付けする。

 目をパチクリしていると目線をあわせ続けて囁く。





 「のこと悪く言うようやつは僕が許さない。は僕が守ってあげる。」

 「…時人。」





 時人の本当の笑い方はこうなのかも知れない。

 いつもの何処か皮肉っぽい作ったような笑顔はなりを潜めて

 自然なこちらを気遣うような眼差し。





 「だからは……。」



 しかし時人は突然表情を戻し、

 いつの間にかから取り上げた婚姻届を差し出して不敵に一言。



 「安心してこれに判子だけ押せばいいから。」

 「えっ…。」





 しまった。あきらめさせるどころか励ましてしまった。

 むしろこの変わり身の早さに驚く。

 今の一瞬時人の本当の姿が垣間見えたような気がしたのは幻だろうか。

 あれが演技だとは思いたくない。

 しかしそう簡単に判子は押せない。





 の目が左右に助けを求めるように彷徨うが

 霧と桜と時人以外には何も見えない。

 答えに窮しているを見て時人は本当に面白そうだから

 もしかしていたずらに人を困らせているのかと疑いたくなる。

 時人のいたずらと強引な誘いには何時まで経っても慣れない。

 今日こそはなんとかかわせるかとも思ったのだが――





 『……万事休す…。』



  ……チリンッ…





 微かに鈴の音が聞こえた。



 「今、何か音しなかった?」

 「別に何も?…もしかしてそんなので僕を誤魔化そうとしてるの?」

 「いや…そう言うわけじゃないけど…。」





 そう言いよどむを見て時人は不思議そうな顔をするが、

 すぐに表情を変え、今度は婚姻届片手に何かを袖の中から捜しはじめた。



 時人の様子を気に留めるとこなくは一人ある一点を見つめて考え込んでいた。

 空耳かと思うくらい微かな音だったが確かにには聞こえた。

 ほたるにあげた小さな鈴の音。これぞまさに天の助け。



 ――近くにほたるがいるかもしれない。



 そしてその音は時狂いの桜のあの焦げた部分から聞こえたような気がする。

 もしかしたらあの焦げの部分は――





 『…結界の効果が消えかかっているの…かも。』





 自分のした大発見に無意味にうなづきながらはさらに





 『じゃぁ、あそこを攻撃すれば…逃げ出せる?』





 逃げ道も確保出来そうだっとさらに大きくうなづく。



 が珍しく策を練っている間に時人は探し物を発見し、

 プリンを押しつぶしたまま固まっているの手を取りスプーンを取り上げる。

 そこでやっと右手が勝手に動いてる事にようやくが気づく。



 「…何それ?何してんの時人っ!?」





 親指にふにっと冷たい感触が伝わってくる。

 みると親指の腹が赤く染まっている。

 吃驚して動かそうとした手は時人に掴まれ阻まれる。





 「何ってこれは朱肉知ってるでしょ?

 それでよくよく考えてみたらさ、判子なんて持ってないよね。」

 「だからって何で親指が赤…い……まさか…っ!」





 時人が手を掴んでいるのとは逆の方の手でひらひらと紙を近づけてきたのを目に留めると

 すかさずの手が伸び紙は動きを止める。

 両者の力がぶつかり合い、掴み合っている腕が細かに震えている。

 必死の形相に冷や汗までかいているとは対照的に

 時人は余裕たっぷりに微笑むとすかさず、





 「確か、判子じゃなくて拇印でも良かったんだよね?」





 とに念を押すように言い、腕に力を込めて紙と親指の距離を縮める。

 負けじともそれに逆らう様に頑張ってみるが時人は見かけほど非力ではなく、

 じわじわとその距離は縮まっていく。





 「ふ、不意をつくとは…卑怯っ…だよー…。」

 「ぼーっとしているが悪いんだよ?」

 「くぅー…!!」





 大分近づいてきた紙を中指と人差し指をめいいっぱい伸ばして牽制するが、

 たいした意味は無いらしい。

 必死の抵抗も空しく時人はくすりと笑うとうまくそれらの指をかわして

 ますます紙が近づいてきた。



 さきほど垣間見たあの時人の顔はやっぱり嘘だったのだろうか。

 これはからかって遊んでいるだけのようにしかには見えない。





 しかし時人もここまで執拗にをからかっているのは

 そんな必死なの顔が可愛らしいから。

 一人ほほえましくを観察していた時人はふいに背後から何かの気配を感じ、

 瞬間振り返ると軽やかな音と共に何かが時人の髪をかすめて飛び去る。



  ……チリンッ……


 「どうしたの時…痛っ!!」





 振り返った事で時人にかわされた鈴は

 急に力を緩めた時人に不審に思い顔を上げたの額を直撃し、

 支えを失ったの体は鈴の勢いそのままお花見台から転げ落ちた。





 「…ちぇっ、見つかっちゃったか…」





 続けて飛んできた炎の群れを得意のカードで防ぐ。

 は台から落ちたのが良かったのか炎にさらされる事は無い。

 時人はその事を確認するとメラメラと燃えあがる桜を忌々しげに見上げる。



 「僕の秘密道具が黒焦げだよ。どうしてくれるの?」





 燃えゆく桜に向かってそう呟く。正確には燃えあがる炎のその向こう側。

 陽炎のようにゆらゆらと見え隠れする馴染みの人物を見つけ皮肉っぽく笑う。





 「…別にいらないし…。」



 ほたるはそっけなく言うと刀を構え直す。

 刃に炎の光が反射してそれ自体も熱く燃えあがっているように見える。

 何時の間にか炎は周囲の霧まで焦し始め、桜も半ば崩れかけてきた。





 「まぁ、いいや。そろそろ帰る時間だし…。」



 しかし時人は意外なほどあっさり引き下がる。

 あまりに簡単に引き下がるのでほたるが警戒心も込めて眉根を寄せる。

 そんなほたるに一瞥を与えくるりと向きを変え、

 時人はお花見台の影で赤くなった額をおさえてうめいているを助け起こす。



 「大丈夫、?」

 「う〜ん…大丈夫。」





 まだ額を擦っているを見て背後に殺気を飛ばす。

 あの鈴はどう考えてもほたるの方から飛んできた。

 ほとほと邪魔なヤツだと思いつつも顔には笑顔を浮かべの手をとる。

 すかさずその手の甲に唇を寄せ別れの挨拶を施す。

 一瞬、額を擦っているの手の動きが止まったのを満足げにみて

 足早に燃え盛る桜の方へと歩み寄る。



 どっかの誰かの所為で別れの時間が早くなってしまったことに腹を立てながら――





 「えっ、時人帰るの?」

 「うん。邪魔が入ったしそれにこの状態じゃ壬生に帰りつけるか心配だし。」





 そんな事を口にしつつ燃える桜に手をかける。

 心配だと言ってはいても表情ではちっとも心配していない。

 そんな時人はいつもの時人だ。



 まだの心にしこりの様に残っているあの悲しい雰囲気は微塵も感じられない。

 そして顔にはあのいつもと変わらない笑顔が貼り付いている…。



 の視線に気が付いたのか時人がこちらを振り返り、



 「名残惜しいけど、じゃぁまたね。」





 そう軽く手を振り一陣の風と共に実にあっけなく消えていった。

 時人が消えた事で結界は消滅し、時狂いの桜も燃え盛る炎も一緒に消えてしまった。

 後に残ったのは見事なまでに晴れ渡った秋空――。






  TO BE CONTINUED ⇒





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